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そもそも仏教について
そもそも仏教ってなんなのかを簡単に調べてみた。
自分が調べた限り(間違ってたらごめんなさい)簡単に説明すると、ネパールのルンビニで王子として生まれたブッダ。嫉妬、妬み、災いに出会い、人々が苦しんでいるのを目にする。その苦しみから逃れる方法はないのかと考え、家族を置いて出家。一人苦行の旅に出る。
ある時修行先のブッダガヤの菩提樹の下で瞑想していたら気づいた(悟りを開いた)。
修行で衰弱したブッダは近くのスジャータ村でお粥を食べて生き延びる。悟りを開いた後、里に戻り旧友の梵天(ブラフマン)にこの事を話したら、説法するように勧められ、インドのバラナシ近くにあるサルナートで説法を始め、現在に至る。
起きて、洗う、排泄、食べる、寝る
つまり今回の行うヴィパサナ瞑想はブッダが悟りを開く前に行っていた苦行の一つといえる。
2500年前のブッダの時代から現代まで、途切れることなく、指導者から指導者へ受け継がれている方法である。
この瞑想とは今起きている事、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること。
さすがに当時の苦行をやったら命の危険に関わることもあるので、最低限の生活ができるように食事と寝る場所は用意して、誰でもできるよう、仏様の思し召しであるのだろう。
起きる、食べる、洗う、排泄、寝る、それ以外の時間は瞑想する事となる。
瞑想施設は世界中にあり、日本だと千葉と京都にある。
施設の維持はドネーション(寄附)で成り立っている。
インターネット予約だけど数ヶ月先まで予約待ち。
日程は12日間。
11日目の午前に瞑想は終了して翌朝コースの終了。
人と喋らず、読み書きもできない10日間。
贅沢な話に聞こえるかもしれないが、現代に生きていて暇ほど辛いものはないことを実感する。
10日間は自分との戦いとなる。
瞑想施設がある京都の山奥へ
京都駅から電車を乗り換えて40分で園部駅で下車。
大きなカバンを背負った、いかにも旅人してますって方から、小ぎれいなスーツケースを持った会社員風な女性、頭を丸めて袈裟を来ているお坊さん、今時の大学生、海外から来られた人が同じ電車から降りてくる、そして向かう先は同じバス停。
おそらく、この人達も行くんだろうか。
そこから路線バスで4〜50分は乗ってたであろうか。桧山バス停に到着する。
バスを降りて、バス停でしばらく施設から来るワゴンを待つ。
バス停にいたのは15人程だろうか、それとなく、近くにいた人とこれからの出来事に不安と期待を膨らませながら会話をしている。
しばらく喋ってたらワゴンが来る。もう日も暮れかけた頃。
ワゴンに乗って山道を20分走っただろうか。山奥で辺りも暗くて不安になる。
瞑想の注意点
到着したのは17時前。完全に山奥で外界から遮断されている。
バスを降りて、入り口をくぐりしばらく歩き、受付のある食堂に通される。
ここで貴重品(携帯、財布、鍵等)預けて、瞑想のルールが書かれた用紙を渡される。
瞑想期間中のルール
生き物を殺さない、盗みをしない、性行為を行わない、 嘘をつかない、酒や麻薬を使用しない。 人と目を合わせる事、読み書きの禁止。
誓約書の確認事項を読んでサイン。
生き物を殺さない=食事はヴィーガン。
盗みをしないのは当たり前として貴重品は預けてるので多分大丈夫。
性行為を行わない自慰行為も禁止、捻くれ者の自分は夢精したらどうするんだろうかと要らんことを考えるが、しても言葉を発しないので自分しかわからないのだろう。
嘘をつかないというか期間中は会話ができないので嘘つけません。
酒や麻薬を使用しない、喫煙者にとってはきついがタバコをやめるチャンス。
人と目を合わせる事は禁止事項だけど、10日間共同生活してて合わないわけがないので、目が合うとお互い気まずい。
読み書きはできない、気を紛らわすことは瞑想。
宿泊等は男女別、瞑想期間中の男女は瞑想ホールのみ一緒になる。
受付を済ませて宿泊棟に荷物を置いてからは喋る事は禁止。
これを聖なる沈黙と呼ぶ。
聖なる沈黙は11日目の朝まで続く。
瞑想期間中のスケジュール
初日スケジュール
PM18:00 夕食 ビュッフェ形式 玄米、スープ、サラダ、コーヒー、ジュース、お茶。 PM19:00 スタッフの紹介と注意事項について説明。 PM20:00 初日の瞑想。 PM21:30 就寝
2日目から10日目までのスケジュール
AM4:00 起床 AM4:30 各自瞑想 AM6:30 朝食休憩 AM8:00 グループ瞑想 AM9:00 各自瞑想 AM11:00 昼食休憩(希望者は指導者と面談) PM13:00 各自瞑想 PM14:30 グループ瞑想 PM15:30 各自瞑想 PM17:00 ティータイム休憩 PM18:00 グループ瞑想 PM19:00 講和 PM20:15 グループ瞑想(希望者は指導者に質問) PM21:30 就寝
宿泊施設について
男子宿泊棟は4〜5部屋。
女性部屋へ男子は入れないので分からないが、外観から見た建物の大きさと作りから一緒っぽい。
基本は相部屋で2段ベッドの配備された部屋、板張りの布団が置かれた部屋、バンガローの個室。
バンガローの個室は古い生徒と奉仕スタッフ。
自分の寝起きした部屋は8畳くらいの板張りの部屋に布団が敷き詰められ、自分のスペースは布団の上だけ、荷物は足元に置く。
隣との距離が近いため、小さな吐息や寝息まで聞こえる。
10日間、瞑想に集中する環境としては、なかなかハードルが高い。
瞑想ホールについて
瞑想ホールが宿泊棟の2階。
100畳くらいありそうな広いスペースにクッションが並ぶ。
指導者が中心の椅子に座って、ボランティアスタッフが脇に座り、対面にして男女別で古い生徒から順番に後ろに新しい生徒で並んで座る。
参加者は男女合わせて60人くらい、ちょうどいい。
録音された講話が天井に取り付けられたboseのスピーカーから流れる。
boseだったのは少し驚きだった。
食事と休憩について
食堂は30畳くらいの広さだろうか、テーブルと椅子が並んでいて、20人くらいが定員で早く来た人から順番に済ましていく。
食事はすべてビュッフェ形式。
朝食はトースト、玄米、サラダ、ドリンク(コーヒー、お茶、豆乳、フルーツジュース)、昼食は玄米や炊き込みごはん、味噌汁やダルスープ、サラダ、ドリンクが振る舞われる。
ディナーはないが夕方にティータイムがあるので果物とドリンクが振る舞われる。
休憩中にする事はトイレ、シャワー、洗濯、歯磨き。
洗濯はトイレの洗面台の前に洗濯板とバケツが置いてある。
トイレの外に脱水機と物干し竿。
用がなくなると庭を散歩。
聞こえるのは鳥の囀りと風の音。
11日目と最終日について
11日目の朝、起床して各自瞑想。朝食休憩。ホールでのグループ瞑想。
ここまではスケジュール通り。
AM9:30頃、宿泊棟の前にあるベルが鳴らされる。
聖なる沈黙が終わりの合図。
ベルが鳴った瞬間からどよめき、近くにいる人と喋る。
再び2階のホールでグループ瞑想。
ランチの食堂は賑やか。
最終日は食堂で預けた貴重品を受け取る。
そしてお布施を払う。
クレジット支払い可能。
部屋の片付け。
施設から出る車に全員は乗れないので用事がある人から優先にバス停まで。
それまでは奉仕作業で施設の掃除。
落ち葉集め木の剪定を任せられる。
瞑想帰りに食べるラーメンの背徳感
10時過ぎ、ワゴンに乗ってバス停へ。
行きは暗くて、よく分からなかった道も、昼間に通ると、よい景色。
桧山バス停に到着して、送ってくれたボランティアの方にお礼を言う。
バス停から電車を乗り継いで京都駅まで瞑想帰りの人で賑わっている。
行きのバス停で一緒だった四国出身ラガーマンの青年と帰り道の京都駅で昼食することになる。
青年は180cmの身長でラグビーで鍛えられた身体、一言で屈強。
瞑想中の食事の量も半端なく、皿と茶碗が山盛りで、何度もおかわりしていて、草食系の瞑想者の中で異質だった。
当たり前だが沈黙が解けた後、周囲から突っ込まれていた。
駅を歩いてたら一件のラーメン屋の前で青年の足が一瞬止まる。
青年はこちらに顔を向けた、その時の目は本気だった。
そんな目で見られたら無言で相槌するより仕方ない。
向かった先は昼時の忙しいラーメン屋にできた列の最後尾。
なぜだかよく分からない後ろめたい気持ちをお互い正当化しあう。
その気持ちも同じ瞑想コースに参加していた古い生徒さんが先客でラーメンを啜っていて払拭される。
あの神聖で穢れなき瞑想修行後、最初に口にした背脂たっぷりのラーメン。
俗世界にリセットされた瞬間でもあった。
人はそうそう変わりません。