旅の記録 ラオス1ヶ月周遊

旅の記録 ラオス1ヶ月周遊

何にもないのが心地いい

無性にタイトルが気になったので読みました。

村上春樹さんが訪れた旅先の出来事を書かれた短編集でラオスは短編集の一部です。

タイトルを見て10年以上前のラオスの旅がフラッシュバックしました。

ラオスに行くと周囲に話した時の反応が、まるでこのタイトル通りだった。

そもそもラオスと言う国すら知らない人もいた。

確かに東南アジアのビーチリゾートだったらタイ、遺跡だったらカンボジア、グルメだったらベトナム。

ラオス??ってなるのが、よっぽどもの好きでもない限り、この反応が普通なのかもしれない。

こんなタイトルがついてしまうラオスとは一体どんな国だろうか?

そもそもラオスはどんな国かと言うと、人口691万人、首都はビエンチャン、公用語はラオ語、東南アジアでは唯一海がない内陸国で国土の70%が山岳地帯である。社会主義の国で市場経済に移行しているが、ラオス人民革命党による一党独裁である。19世紀まで国教が上座仏教であったため現在も国民の60%は仏教である(ウィキペディアより)

旅の行程

ビエンチャン→ヴァンビエン→ルアンパバーン→ノンキャウ→ムアンゴイ→ノンキャウ→ウドムサイ→ルアンパバーン→ビエンチャン→バンナカサン→シーパンドン(デット島)→チャンパーサック→パクセー


ラオスに旅をしたきっかけ。

  • 物価が安い
  • 東南アジアの旅の拠点バンコクからアクセスがいい
  • visaが国境で取得できるので気軽に行ける

1ヶ月の滞在VISAをほとんど使い、ラオスの北から南まで一周した。


バンコクからラオスの首都ビエンチャン行きのバスが出ている。バスで国境の街ノンカイヘ向かいイミグレーションを通って橋を渡り、バスを乗り変えて首都ビエンチャンへ。

バスはビエンチャンの中心部に到着。まさかここが首都の中心部と思えず、地図を何度も確認した。まるでタイの田舎の地方都市。

確かに、ここに一体何があるのだろう。

ビエンチャンは川沿いに食堂やレストランがあって、観光客の多くが食事をしていた。ショッピングセンターもあったが、どちらかと言うと市場と呼ぶのが相応しく思えた。

1日滞在して、次の目的地ヴァンビエン行きのバスチケットを購入した。

ラオスの都市間を行き来する長距離バスは大型でクッションもしっかりしていて快適だがエアコンが効きすぎていて寒いので持っていたブランケットを羽織る。

これはラオスに限らず、今まで経験したアジアを走る観光バスの大半がエアコンが効きすぎて寒いのである。


ヴァンビエンはバックパッカーの間で評判だ。山の形が中国の水彩画の様で景勝地だった。

欧米的なレストランやゲストハウスが立ち並び欧米から来た旅行者は昼間からレストランでハンモックや三角枕でゴロゴロしている光景は他の東南アジアのリゾート地と変わらない。

山奥の村に、この様な場所があるのは少し不思議な感じがした。

ラオスに行った事のあるバックパッカーに幾度となく話を聞いていたが、その通りだった。

レストランで知り合った日本人のカップルに誘われて、ヴァンビエンで人気の浮き輪で川下りをした。3時間くらい川に揺られて下流に下るのは気持ちいい。途中でビールが買えるので尚更である。

ラオスのビール、ビアラオはラガービールで軽くて飲みやすい。

ある日カップルを通じて知り合った、一人旅の女性と二人でトレッキングに出かけた。彼女は織物や草木染めに興味があり、少数民族の村に行くと言っていた。川沿いを歩き、近くの山の洞窟まで行った、そこから見下ろした景色はとても良かった。後からよくよく考えたらこれはデートだったのか、そういう点に関して自分はとても鈍感なのである。

居心地の良い場所だと思ったが、一人旅だとこの場所は少し寂しく感じるかも知れない。

舗装されていなかった土道も10年以上経った現在は舗装されたと噂で聞いた。


次に訪れたのは、古都ルアンパバーン。

世界遺産に登録されている街だ。

仏教寺院が多く、ナイトマーケット、お洒落な土産物屋も高級レストランもある観光地で各国のの観光客で賑わっていた。

ラオスではあまり見かけなかった、現地屋台飯もあり、バックパッカーで旅している貧乏旅行者にとっても居心地がいい。

名物のカオソーイはチェンマイのココナッツスープの卵麺と違い、ここラオスではライスヌードルに香草と肉味噌が載っている。

日本のタイ料理屋でもお馴染みパパイヤサラダのソムタム、挽肉を香草と炒めたラープは元々はラオスやラオスに近いタイ東北料理である。籐の器に入った餅米、カオニャオが主食である。

ビールが進む。

朝は僧侶の托鉢が観光の一環で見所でもある。列をなして、街を歩く僧侶の姿はフォトジェニックだ。

薬草サウナが有名で行ってみた。薬草の香りと蒸気が充満して視界は全くない。木製のベンチに腰を掛ける。温度は低めで日本の様な高温サウナではないので数時間いられる。

近くの滝にトレッキングに行った先にあった滝から飛び込むことができた。

川沿いにあるプーシーの丘から見る景色はとてもよく、ルアンパバーンの街が一望できる、観光スポットだった。

ある日、宿のテラスでのんびりしてたら、宿のオーナーが来て世間話をした。街全体が世界遺産に登録されているので、勝手に宿の改装はできないとオーナーは言っていた。世界遺産ならではの悩みである。

宿で仲の良かった自称一流シェフのマルタ人は、ある日、市場で食材を買ってきて、宿の住人にアラビアータを振る舞っていた。まさかここラオスで美味いパスタが食べれるとは。

ラオスの旅で、ルアンパバーンの滞在日数が一番長かった。


沈没しかけたルアンパバーンから抜け出し、次の目的地ムアンゴイ。

ルアンパバーンからソンテウと言う、乗合バスに乗って、まずノンキャウと言う近くの村に向かった。

乗合バスといっても、軽トラの荷台に3人用の木製ベンチシートが向かい合っていて、屋根が着いた粗悪な物。乗車定員は明らかにオーバー、そしてなぜか豚や鶏も一緒。山岳地帯を数時間走るので、隣に座っていたアメリカ系イラン人の大学生は何度も吐いていた。

ノンキャウからボートに乗って1時間くらい経っただろうか、小さな集落が見えた。

ムアンゴイはボート乗り場を中心にした、田舎の小さな村だった。

一人旅で来るのはおすすめかもしれない。

ボート乗り場に船が近づくと複数の欧米人が手を振っている。まるで無人島で助けを呼ぶように見えた。その中に紛れて宿の呼び込みをしているアジア人の女の子が一人いた。

都会の街中を歩いててもおかしくない服装と化粧をしていて、英語もネイティブなので始めは村の人だと思わなかった。

小さい頃から村に遊びに来た欧米旅行者と接していて、英語の発音もネイティブで振る舞いも欧米的だった。ここの宿に来て仲良くなった旅行者にバンコクへ遊びに連れてってもらうと話していた。彼女は英語が堪能なので宿泊している欧米の男性旅行者を見つけては話しかけていた。

虎視眈々と外国人との玉の輿を狙ってるのが伺える。

彼女の宿にヴァンビエンで会った知人が宿泊していて、遊びに行った時、何度か喋ることがあった。そして自分にあなたは韓国人か香港人みたいだ。日本人はみんなカッコいいと。

彼女は全く悪気なく言うので、周りにいる旅行者は笑いながらフォローしてくれるのが、また何とも言えないのであった。

彼女の今まで会った日本人は偶然カッコよかったのだろう、そして韓国や香港人は偶然カッコよくなかったのだと思う。

宿は川沿いにハンモックが常備された素朴なバンガローだった。

左隣のバンガローは一緒のソンテウで来たアメリカ系イラン人、右隣のバンガローは長旅してそうなスイス人夫婦である。

アメリカ系イラン人の彼は、よくイスラエル人と間違えられてイスラエル語で挨拶されていた。

100メートルくらいのメインロードに売店、宿、レストラン、民家が数件ある小さな村。テレビが家にないのか、夕方になると子供たちがテレビのある家に集まっていた。道には豚や鶏など家畜が放し飼いだった。

どこかで旅行者から聞いた、ラオスはブロイラーがいなくて地鶏だから、鶏肉が美味いと。確かにこの光景を見たらそう思う。

この村でのアクティビティはラフティング、トレッキング、近くにある少数民族の村巡り。

隣のイラン人大学生はラフティングやトレッキングがしたくてしょうがないらしく、何度も誘われる。自分はここまでの道中で散々トレッキングもラフティングの様なこともしてきたので、正直疲れていてゆっくりしたいが、分かってもらえない。昼間から飲んで酔っ払っていたら、誘われなくなった。

隣のバンガローのスイス人夫は中米や南米に長く滞在していた様で、その中でもお気に入りのグアテマラの話しをよくしていた。

ある日朝食を宿のレストランで食べていたら、隣のバンガローのスイス人夫婦は隣村にボートに乗って遊びに行くけど一緒に来るかと誘われた。面白そうなので一緒に行く事に。手漕ぎボートに乗って20分くらいで集落に着いた。少数民族の集落と言っても、民族衣装を着ていないので、その人たちが少数民族だとは一見すると分からない。カメラを出すと、一斉に子供が集まってきた。帰りに、川の真ん中でボートを降りて泳いでいたら、足の親指を何かに噛まれた。

ボートに戻って確認すると、出血していた。一緒にいたスイス人夫婦も身体をつつかれる感じがしたと言っていた。思い当たる節をラオス語の指差し会話帳で調べていたら、魚の種類の所に雷魚。ラオス人のボート漕ぎのおじさんに聞いたら、ラオス語でバップーと言っていた。どうやら雷魚ではなかった。

この事を日本に帰ってから、ラオス大使館に電話で問い合わせたら、それはラオス語でフグだと思いますと言っていた。フグは海水魚だと思いますけどとも言っていた。

更に気になって調べていたら、ラオス、タイ、カンボジアには淡水フグが生息している事がインターネットの情報から分かった。

調べを進めていくうちに、日本で一番淡水フグを扱っていそうな下関にある海響館と言う水族館があることが分かった。

海響館ホームページ

電話で問い合わせて事情を説明すると、淡水フグに詳しい職員の方に、電話を繋いでもらい直接話を伺うことができた。

伺った所、どうやら淡水フグに限らず、フグ科全般、しっかりした歯を持っていて囓られると肉がえぐれるくらいの威力があると、滅多に人間が噛まれる事はないが、稀に目の前にある物を確認で噛む事はあるそうだと、返答をいただきました。

更にインターネットで情報を探していたら、あるブログの記事でカンボジアのトレンサップ湖の漁師との会話が載っていて、地元の漁師は湖で漁をしていて、淡水フグに足を噛まれるから困ると記載されているのを発見した。

川を泳ぐ際は注意した方がよさそうだ。

ある日の朝、スイス人の夫は宿にある食堂のキッチンで宿のお母さんと一緒にパンケーキを焼いていて、それを一枚もらった。このスイス人はどうやらパンケーキにチョコチップを入れるように宿のお母さんに提案していたのだ。自分が食べるのを見て、スイス人夫はクリスピーだろと自慢げに笑っていた。

この小さな村にも、メイストリートの外れに一件だけマッサージ屋がある。ラオスには至る所にタイの様にマッサージ店があり、マッサージもタイと似た様な感じであった。

せっかくなので、旅の疲れを癒すべく行ってみた。

受付で待っていたら、奥から骨格のがっしりした、ポニーテールの化粧をしたラオス人が出てきた。

よく見ると顎髭を剃った後が青かった。

パンツ一枚になる様に指示を受ける。

???

今までこの手のマッサージで服を寝巻きに着替えることはあっても、脱いだ経験は無かった。マッサージが序盤に差し掛かるにつれて、股間の付け根の際どい場所になる。この手のマッサージではよくある事だ。と思っていたらパンツの中に少し手が入る。しばらくするとあからさまに触られている、何度かそこはしなくていいと言ったが、しばらくするとまた触られる、、、途中で店を出た。

宿に戻って、ハンモックに寝転びながら、マッサージする人が女性だったらと、考えながら眠りにつく。

夜になると自家発電の音が聞こえてくる。

昼間はソーラーで夜は自家発電なのだろうか。

ある晩、蝋燭を立ててハンモックに寝転んでたら、辺りが急に明るくなった。

一瞬びっくりしたが、すぐに、その正体が蛍である事に気づいた。

無数の蛍が舞っていて幻想的だった。


ムアンゴイからノンキャウに戻り中国の国境近くにある街、ウドムサイにソンテウで向かった。

ウドムサイは何でもない田舎の地方都市だった。

中国との国境が近いので、中国からラオスに来た旅行者やこれから中国に行く旅行者を少し見かけた。中国人が多く、お店も中華料理屋が多い。

夜は宿の近くの中華料理屋で麻婆豆腐を食べた。

山椒が効いて美味かった。

ウドムサイから更に山奥の少数民族の村を巡ろうかと思っていたが、VISAの都合で諦め、再びルアンパバンに戻る事にした。

ルアンパバーンに戻った翌日にバスでビエンチャンに戻った。

ラオスとカンボジアの国境のメコン川に浮かぶ島に向かうためである。


2度目のビエンチャン滞在中は宿で知り合ったバンコクの大学生と飲みに出かけた。タイでは20歳くらいで出家の義務があるらしく、彼は1ヶ月の出家明けで坊主だった。

懲りもせず、再びマッサージに行った。

前回のムアンゴイでの反省から、あらかじめ外からマッサージ師の見える場所にした。

ここでは服をガウンに着替え、用意された布団に寝転んだ。

隣にアジア系のおじさんが気持ち良さそうにマッサージされているのが目に映る。

よく見ると、下着を着けていないので、ガウンから大事なものがはみ出していて、マッサージ師の女性を困惑させていた。

それを見ながら、そうゆう手もあるのかと思ってしまう自分がいた。


宿に帰る途中、バンコクで宿が一緒だった日本人とばったり遭遇した。

一回り自分より歳上の彼は長旅のせいであろう玄人感が凄くて少し近寄り難い。

greatfuldeadやphishと言ったジャムバンド、ジャマイカのレゲエやパンクバンドの話をしている時はとても楽しそうだ。だが聞き始めると延々と続くので次第に笑顔で相槌を打つ事が作業の様になる事もしばしばあった。

昼間っから赤い目をして、まるでjahが無敵のマイクを使って、話し相手を見つけて喋り続ける。

売店に行って、会計で並んでたら欧米人の女性に話しかけられた。しばらく話していたら、彼は話に割り込んできた。しばらくして欧米人の女性がその場を去ると、彼は彼女の後を追って去って行った。

笑顔で頑張って下さいとだけ言っておいた。


ラオスとカンボジアの国境には、複数の島があり、その地域をシーパンドン(4000の島)と呼ばれている。

そのうちの一つドンデット島へ向かうため、ビエンチャンからバスでサワンナケートに向かった。

そこでバスを乗り換える。乗り換えのバスを待っている時間が1時間あったので食堂で生春巻きとフォーを食べる。ベトナムが近いためか、ベトナム人やベトナム料理屋が多い。

ベトナムの食堂ではライスペーパーを渡されて、テーブルの上に置かれた野菜やハーブを自分で巻いて、ナンプラーにつけて食べる。

バスを乗り換え向かう先は島行きフェリー乗り場があるバンナカサン。

バンナカサンからボートに乗って、目的地ドーンデット島へ到着した。

島は外国人観光客も多くて、バンガローやレストランもある。何より夕陽がとても綺麗で、こんな色に染まる夕陽を見たのは、後にも先にもここだけだ。

自転車を借りて、隣の島へ遊びに行ったりした。

植民地時代は列車が通っていたようで、古びたレールと機関車が放置されていた。

当時は電気が無かったので、夜は真っ暗。電気のない質素な生活が新鮮に感じた。

近くに有名な滝があり、遊びに行った。

ハンモックの常備されたバンガローからは川を眼下に見ることができる景色の良い場所だった。西向きでハンモックから川に沈む夕陽を拝むのが日課であった。

近くのバンガローに自分より一回りくらい歳が上の旅が長そうな、ちんぴらアジア人男性。彼は昼間からビアラオを飲んで訛った英語で熱唱していた。

彼は隣のバンガローの欧米人の女性をいつも口説いているが、彼女はいつも他の男をバンガローに連れて来ていた。

他の男がいなくなると、彼はまた口説き始めるが、彼女はまた別の男を連れて来ていた。

ある日、夕陽に合わせて瞑想をしていたら、いつもの様に彼は隣のバンガローにやってきて、こちらに話しかけてきた。彼女が外出していない事を知った彼は干している下着を指差しながら、こちらにニヤニヤした顔を向けてくる。

おかげで瞑想する気分じゃ無くなった。

気づいたらVISAの日数も僅かとなっていた。島を出て次の目的地へ向かう事にした。


次の目的地はチャンパーサックにある遺跡ワットプー。

バンナカサンから乗合バスでチャンパーサックに向かい、コンテナのようなボートで川を渡り、遺跡群に。木製のコンテナボートには人、物資、車やバイクを乗せていた。

ワットプーはカンボジアから広がるクメール遺跡群の中では古いそうで、アンコールワットより前に建造されたそうだ。

ジャングルの森の中にひっそり佇んでいて、神秘的だった。世界遺産登録されているが立地のせいか観光客もほとんどいないのが余計そう感じさせた。

ここでは観光客は自分を含めて4人。オランダ人夫婦とアメリカ人で大学の教授をしている中年の女性。

一通り見学が終わると、自然と遺跡近くの食堂に行き、4人でお茶をする。

どこの大学か聞いてないがアメリカ人で大学の教授をしている女性は遺跡や東南アジアの歴史の話を始めた。オランダ人夫婦と自分はずっと頷くだけだった。そして時々こちらに話を振ってくる。

どの様な会話の流れでその話に行き着いたのか分からなかったが、その時ミャンマーとインド国境のインパールの事を話していて、英語は苦手だけど、世界史は好きなので、理解できた単語で話を予想して答えたら、どうやら自分の答えは的を得ていた様で安心した。

第二次世界大戦の話をしていた様だ。自分が日本人だから気を遣ってくれたのだろうか。

陽も暮れかけていたので、パクセー行きのバス停に向かう。

アメリカ人の女性はこの村に宿をとっていたので、ここで別れて、オランダ人夫婦と自分の3人でバス停に向かう。

バスはすでに最終便が出た後だった。

タクシーをチャーターするか、悩んでいたが、オランダ人の夫が道に立って親指を立てる。隣でオランダ人の妻は笑っている。

自分も道沿いに立って親指を立てる。

30分くらい経っただろうか、一台の軽トラが止まった。

パクセーに向かう途中のベトナム人ファミリーで、荷台に乗せてってくれると。

こうして人生初のヒッチハイクは無事成功に終わった。


パクセーはラオスの都市の中でも大きい方だと思った。

パクセーに送ってもらった後、宿にチェックインして、オランダ人夫婦とライブ演奏している、小洒落たラオス料理のレストランでディナーをした。食事が終わった後、オランダ人夫婦が何か聞いてくるので、何かと思ったら、チップをいくらにするかの相談だった。結局1ドルテーブルに置いておいた。多分これが日本人同士だったら、気にせず帰るのだろう。とても勉強になるのでした。

パクセーで一泊して、翌日、乗合バスでタイの国境へ。国境を越えてタイの東北の都市ウボンラーチャタニーへ。

こうしてラオスの旅は終わった。


まとめ

結局ラオスにいったい何があると言うんですか?と聞かれたら、正直答えに困ってしまう。何にもないのが心地がいいのだが、この質問をする人の気持ちを察すると、説明するのが難しい。

ビジネス的な面で見たら、製造業は発展していないので、企業の進出も周りの東南アジアの国に比べたら少なそう、グローバル企業の進出もほぼ見かけない。確かに有名ブランド衣類のタグを見ると、タイ製、ベトナム製、カンボジア製は見かけた事があるけど、ラオス製は見た事がない。この状況からすると在留外国人も少なそうで、この国でビジネスチャンス狙ってなんてビジネスマンにも合わなかった。

主な産業は農業の様で、国民の60%は農業労働者だそうで(Wikipediaより)実際旅していても、そう感じた。資源は鉱石が有名みたいだが、偶然見かけなかったのか、自分は興味が無かったせいなのか、それほど見かけず。メコン川のダムに水力発電があって、電力を東南アジアに輸出しているそうだ。

文化的な面では、同じ共産圏の中国の影響が強いのかと思いきや、ラオスではタイのテレビ番組が放送されていて、ラオス人はタイ語も喋れて、ラオスの若者を見ると、その影響が分かる。その辺はタイの俗国の様にも感じてしまう。ネパールとインドの様な感じなのだろうか。

華のある観光地が多い周りの東南アジアの国に比べると、少々見劣りはしてしまうが、観光業は伸びているそうで、自分が旅した時も、欧米からの観光客、バックパッカーが多かった様に感じた。周りの東南アジアのビジネスとしてできあがった、24時間眠らない観光地に飽きた旅行者がラオスに来るのだろうか。ラオスにもお姉ちゃん遊びのできる場所があるそうだが、近くにタイがあるのにわざわざラオスで遊ぶのかは疑問である。

グルメに関して言えば、フランスの植民地だった名残で、フランスパンがよく食べらている。ラオス南部はコーヒーの産地として有名であり、その辺の屋台でバケットサンドを食べながら美味いコーヒーが飲める。ラオスの主食は米だが、餅米である、手でつまんで丸めて、おかずと一緒に食べる。パパイヤサラダのソムタム、挽肉の香草炒めのラープ、カオソーイやチャーハン、ライスヌードル等、タイでお馴染みの料理が多い。ラオスの米焼酎ラオラーオは正直口に合わなかったが、ビアラオは毎晩飲んでいた。

物価に関してはタイと同じ金額の宿に比べたら、設備も整っていて綺麗な気がした。これは近年観光業が発展していて宿が新しいためだろうか。食事はタイに比べると屋台が少ないので、少し割高な気もした。ラオスには列車はないので移動はバス。主要都市を結ぶバスがある。

ラオスでは24時間やってるコンビニもない、ナイトクラブも行った人の話をあまり聞かなかった。夜はお店が早く閉まるので、必然的に夜は宿で過ごす。宿で出会った旅行者と、たわいもない会話や馬鹿話で大笑いした思い出は10年以上経った今も心に刻まれている。

素朴で観光客ズレしていないラオス人やゆったりしたラオスの生活は、時間に追われ管理された社会で暮らす者にとっては、何も無いのが、ある意味で新鮮なのか。

ある意味、周りの東南アジアの観光地では中々味わえない事なのかも知れない。

あれから10年以上経ったが現在はどうなのだろうか。

この先も変わって欲しくないなと思ってみたりするけど、多分それは外から来た旅行者の勝手だったりするんだろうなと思うのでした。