期待を裏切らないステレオタイプのインド
ヒンドゥー教の聖地バラナシはコルカタからインドに入国して旅行する自分にとって通り道になるため4回訪れている。
初めてのインド旅行で半年間インドを反時計回りに一周した時、旅の始まりと終わりに2回。
再びインド旅行で3ヶ月間、首都デリーの北の山岳地帯に旅行した時、旅の始まりと終わりに2回訪れた。
その旅の中で感じた、メディアで紹介されるステレオタイプの神秘的、宗教的なインドを代表する街はバラナシだと個人的に思います。
インドといえばヒンドゥー教が人口の大半を占める国と言われ、ヒンドゥー教と言えば、すぐ頭に浮かんだのは多神教とカースト制度。
現在カースト制度は表向きには無くなったとなっている。
都市部では宗教色は薄れ欧米化した街並み、お洒落な飲食店や洋服店でデートするカップル、ショッピングモールはファミリーで賑わい、街中はグループではしゃぐ大学生、生活水準は先進国と変わらいじゃんって思う。
しかし地元民しか行かないような路地裏に一歩入れば貧困も垣間見える。
埃っぽくて、カビ臭くて、糞尿の臭い。
さっきまでの都市部のキラキラした生活との差がありすぎて驚く。
そして実際に旅をして感じたのは、表向きには無くなったとされるカースト制度も田舎や宗教色の強いエリア、保守的な地域では、そうとも言えないっぽい。
都市部で見た路地裏の貧困はバラナシでは身近に感じる。観光地であるガンジス川周辺を歩けば嫌でも目に入り、おおよそガイドブックに書かれたトラブルに出会える。
観光客が最も集まるガンジス川沿いは狭い路地になっていて、宿、レストラン、土産物屋が並び、路地を歩けば、牛とすれ違い、その糞を避けて歩くのは一苦労、闇両替、宿の客引き、麻薬の売人に声をかけられ、それを避けるのはもっと一苦労。
おまけに狂犬病を持ってそうな野良犬に追いかけられ、散々である。
川岸のガート沿いを一日歩けばガンジス川がいかに生活に密接しているのかが分かる。
風呂、トイレ、洗濯、飲料水、生活排水、工業廃水、火葬場で焼いた死体を流す。
ヒンドゥー教の修行僧は陶器のパイプを吹かして近くを通る観光客に話しかけ、煙に撒かれてコンクリートの地べたに座り込んでいる。
ガート沿いはインド中、世界中から観光客が集まる、それはビジネスチャンスでもある。
ボートの客引きに声をかけられ、物売りに声をかけられ、物乞いに金をせびられ、階段に座って休憩してると隣に座った耳かき屋が商売道具を見せて、商売してくる。
とりあえずほかっとくに限る。
最後に訪れてから10年以上経っているが、現在のバラナシの状況をブログやSNS、YouTubeの配信で確認しても、街の景観も喧騒もしつこい客引きも変わってないのは驚きで、いやもっと昔から、1970年代のバラナシの旅を記した沢木耕太郎の深夜特急を今読んでも、バラナシの描写には共感できてしまう。
東南アジアのバックパッカーの聖地と呼ばれた場所は発展して昔の面影がなくなり、情報もアップデートされているが、このバラナシは今訪れても相変わらずだなと思うのだろう。
宿の隣人に誘われガンジス川で泳ぐ
話はずいぶん前にさかのぼるが、初めてのインド旅行、初めてのバラナシを訪れた当時20歳の自分にとって、この街はとにかく衝撃的で刺激的。
泊まった川沿いの路地の奥まった宿は、家族経営で敬虔なヒンドゥー教徒で頑固だけど律儀な親父が宿番で仏のように優しいママが料理を作ってくれる。当時は水シャワーで、インド式トイレとお世辞にも設備は整ってない、しかしアットホームで居心地は良くて、リピーターも多く、共同ホールの本棚に旅人の残していった本がずらりと並んでいた。
同じ宿のロンドン出身のインド系イギリス人は毎晩18時に宿のママが作った晩飯を共同ホールで食べている。初めて会った時はイスラエル人かと思っていたが、パンジャブがルーツの移民で高校で物理を教えていると言っていて、趣味でブリティッシュロックのバンドでボーカルをしているそうだ。当時パンジャビmcが流行った時期だったが、あいにく10以上歳の離れた先生の好きな音楽は正統派ブリティッシュロックだった。
マフィア映画が好きな先生はアルパチーノの映画のシーンをよく真似していた。特にスカーフェイスの時のアルパチーノが好きな様だ。
気づいたら自分もそこで晩飯を食べるのが日課になった。ある日、晩飯を食べてる時に寝付きが悪いと先生に話たら、イギリスから持ってきた薬をくれた。バリウムと言ってたので胃カメラの前に飲む薬かと思って、なんでそんな薬をと思いながら結局飲まなかったが、日本に帰ってからそれが睡眠薬だと知った。
先生の友達ですぐ近くの宿に泊まってるロンドン出身で映画スターのユアンマクレガーそっくりな坊主頭のイギリス人も宿の晩飯がお気に入りでよく食べにきていた。自分より歳が4つ上で割と近いせいか、音楽の趣味が合った。よく宿の屋上で酒屋で買った、新聞紙に包まれたキングフィッシャーの瓶を飲みながら、当時はまだ発売されたばかりのiPodにポータブルスピーカーを繋いでハウスミュージックやトリップホップをよくかけていた。特に日本のハウスミュージックのプロデューサーはクールだと話していた。
この時にブリティッシュアクセントがとても綺麗なのだと、英語の苦手な自分でもわかった。
遠い異国の地で英語もろくに喋れないが、趣味が近いと、英語力がなくても伝わるので助かる。よくよく考えると、同じ国同士、同じ言語でも、趣味が全然違う人と会話は続かない。
ある日、先生と坊主頭のイギリス人、自分の3人でボートを借りて川の対岸に行くことに。
対岸に辿り着くと、先生は服を脱ぎ始めてパンツ一枚に。どうやら泳ぐつもりらしい。
対岸は不浄の地とされていて砂浜になっていて人はいない。確かにコンクリートのガート側に比べれば、水は綺麗かもしれないが、それでもとても濁っていた。
ここまで来てしまったので結局自分も含めて3人揃ってパンツ一枚でガンジス川に飛び込む。
川遊びが終わり、宿に戻ってシャワーを浴びて、晩飯。
宿の親父にガンジス川で泳いだと話したら、とても良いことだと喜んでいた。彼は敬虔なヒンドゥー教徒でありバラモン(聖人)だ。
晩飯を食べて、泳ぎ疲れたせいか早めに就寝。
ガンジス川で泳ぐのはお勧めしない
翌朝起きたら体の関節が痛くて、頭痛、吐き気に下痢。
発熱していて動けず、とにかく水を飲み、日本から持ってきた解熱剤と下痢止めを飲む。
絵に描いたようなインドの洗礼を受けることとなった。
夕方、いつもの晩飯の時、物理の先生と、坊主頭のイギリス人に会って話したが、様子を見た二人はガンジス川の水飲んだんじゃないのか?とにかく薬と水を飲んだほうがいいよと、物理の先生が宿のママに話してジンジャーレモンの紅茶を作ってくれた。
2日目は発熱は少し治まり身体が楽になったので、薬局で症状を話して薬を処方してもらった。その帰りにフルーツと飲み物を買う。相変わらず関節は痛いし、吐き気も若干、下痢というか水分。フルーツを食べてから、薬局で処方してもらった薬を飲もうと開けたらデカイ。インドの薬はやたらでかい。
3日目の朝起きると、熱が下がり関節の痛みが治った。吐き気も治り、お腹の調子も楽になった。あのデカイ薬のおかげだろうか。
4日目はだるさはあるものの、ようやく軽い食事ができるようになった。
本棚に旅人が置いてった月刊旅行人が10冊くらいあったおかげで寝込んでる間に隅から隅まで何度も熟読したおかげでバックパッカーのイロハをここで学ぶことになった。
回復してから宿の親父にこの出来事を話したら、ガンジス川でそんな事は絶対ありえない。ガンジス川は聖なる川だと憤慨される。もう一度言うが彼は敬虔なヒンドゥー教徒であり、バラモン(聖者)なのだ。
結局原因は不明であるが、心当たりはこれくらいしか思いつかない。
少し前の日経新聞の記事によるところ、インド紙のヒンドゥスタン・タイムズがバラナシのガンジス川の水質調査を行い、調査地点では、100ミリリットル当たり500個という基準値に対し9~20倍の大腸菌が検出されたと報じられたそうです。
ガンジス川で泳いでから15年以上経つが、川の水質も相変わらず。
そりゃあそうだろと納得してしまう。
そしてこの散々だったバラナシの思い出も未だに色褪せず記憶の片隅にあるのでした。